ロイ・ハラデイ特別追悼コラム

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 プロ入り後はマイナーの階段を駆け上がり1998年の9月20日のデビルレイズ(現在のレイズ)戦でデビューを飾った。ハラデイの存在を一躍有名にしたのがMLB2戦目のタイガース戦だった。なんとデビュー2戦目の投手が9回2アウトまでノーヒッターを続けたのだ。残念ながら9回2アウトで迎えたボビー・ヒギンソンにHRを打たれたが、見事な完投勝利を収めた。ここから球界のエースまで一直線に上り詰めると多くのファンが思った。しかしハラデイはここから数年間苦戦を強いられることになる。2年目の1999年はまずまずだったが、3年目の2000年に大きな挫折を味わうことになる。なんと67.2イニングに登板して防御率は10.64を記録した。これは1シーズンで50イニング以上投げた投手では当時の歴代ワーストの数字であった。翌年の2001年も不振が続きハラデイはマイナーのAクラスへの降格を命じられることになる。 

 その後ハラデイは彼の野球人生を大きく変える2人の人物に出会った。1人は投手コーチのメル・キーンでありもう1人はメンタルアドバイザーのハービー・ドルフマンである。当時のハラデイは速球の球速が95マイルを超えることも珍しくない豪腕であった。しかし裏を返せば当時のハラデイは力任せに投げていた。キーンはそんなハラデイに野球は頭を使ってプレーするものだと指導した。キーンの指導を受けたハラデイは徐々に力任せの投球から脱却して技巧派投手へと変化していった。一方のドルフマンがハラデイに与えた影響も大きい。ドルフマンはメンタルコーチとして1989年のアスレチックスと1997年のマーリンズで2回もワールドシリーズ制覇に貢献した人物である。ドルフマンは試合前のメンタル面での準備の大切さをハラデイに説いた。ハラデイは2人の助けもあって見事にキャリアの軌道修正に成功した。そしてMLBの舞台に戻り、2003年には自身初となるサイ・ヤング賞を受賞した。この2003年シーズンの間ハラデイはドルフマンから何度も貴重な助言をもらっていた。シーズン最後の登板となったインディアンス戦でも完投して単独での22勝目を上げた時には普段はクールな彼が感情を爆発させたのが印象的だった。様々な苦労を乗り越えた彼にとっては喜びもひとしおであったのだろう。

 

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