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大谷翔平の移籍先が遂に決定、マイク・トラウトとの共演へ

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スタントンがヤンキースへトレード、ジャッジと本塁打王コンビを結成へ

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動く投手コーチ~選手以上に盛んな投手コーチの移籍市場とその背景~

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2017 NLCS Review LAD vs CHC

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Farewell-去りゆく戦士たち-:エリック・チャベス

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このコラムは今年現役を引退した選手たちのキャリアを振り返っていくコラムである。第7回目はマネーボール時代を象徴するアスレチックスの名選手、エリック・チャベスを紹介しよう。

<生い立ち~プロデビュー>
1977年12月7日にエリック・チャベスはカリフォルニア州で生まれた。高校時代は強打の三塁手として名を馳せ、USC(南カルフォルニア大学)から満額の奨学金を出すオファーを受けるほどだった。しかし、チャベスはUSCのオファーを断り、1997年に全体10位指名を受けたオークランド・アスレチックスと契約する。

プロになった普通の高卒選手ならまずはルーキーリーグ、有望な高卒選手でもAクラスからスタートするものだが、チャベスはA+からスタート。平均年齢が4歳年上の選手と一緒にフルシーズンそこでプレー、18本塁打と非凡な才能を披露しBaseball Americaのプロスペクトランキングトップ100にランクインした。翌年からAAでプレーすると88試合で22本塁打を放ち格の違いを見せつけ、AAAに昇格。順調にメジャーへの階段を上っていき、1998年の9月に20歳にしてメジャーデビューを果たした。

Farewell-去りゆく戦士たち-:アダム・ダン

Adam Dunn

 

 

 

 

 

 

 

このコラムは今年現役を引退した選手たちのキャリアを振り返っていくコラムである。第6回目はHRか三振か、まさにメジャーの代名詞とも言えるスラッガーの名を体現したアダム・ダンを紹介しよう。

<生い立ち~プロデビュー>
1979年11月9日にアダム・ダンはテキサスのヒューストンで生まれた。幼いころから野球を楽しみ、ダンの父親は右で打つより左で打った方がよく打球が飛ぶと気づき,この時から右投げ、左打ちになった。しかし、野球はダンが最も好きなスポーツではなかった。今はなきテキサスにあったNFLのチーム、ヒューストン・オイラーズが全盛期だった時代、ダンはアメフトに強い関心があったのである。背が高く、長身で足の速いダンが持前のリーダーシップを発揮できるクオーターバックになったのは自然な流れだった。高校に入ってもアメフトを重視し、アメフトがオフシーズンの間に野球をやっていた。

高校でのアメフトのキャリアは素晴らしく、NFLのクオーターバックになると思われていたが、高校卒業時にMLB球団のシンシナティ・レッズがダンを全体50位で指名する。レッズはアメフトをやりたいダンに対して、アメフトのシーズンになれば大学でアメフトをしてもいいという条件を提示し、これを承諾したダンは大学でアメフトをしつつレッズのマイナー組織で野球をする二束の草鞋を履くことにしたのだった。

最初はうまく両方をこなしていたが、アメフトでは先発ではなく控えにされ、期待の新入生が入ったときに遂にはタイトエンド転向を勧められた。これを機にアメフトをやめ、野球のみに専念することとなった。マイナーでは優れたバッティング技術と慎重なアプローチ、平均以上のパワーが評価されBaseball AmericaのMLB全体のトッププロスペクトランキングでも名前が載るほどの逸材であった。

Farewell-去りゆく戦士たち-:ケビン・ユーキリス

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このコラムは今年現役を引退した選手たちのキャリアを振り返っていくコラムである。第5回目は「四球のギリシャ神」とも呼ばれたケビン・ユーキリスを紹介しよう。

<生い立ち~プロデビュー>
ケビン・ユーキリスは1979年3月15日にアメリカのオハイオ州、シンシナティで生まれ。彼の父親はユダヤ系のコミュニティでは有名な三塁手であった。その影響を受けてか野球を始めるとたちまち上達していき、高校ではナショナルチャンピオンシップで優勝した学校の三塁手として勝利に貢献した。そして、その高校時代には、後にボストン・レッドソックスでチームメイトとなるアーロン・クックから高校生として唯一ホームランを浴びせる。シンシナティ大学時代、ユーキリスの身長は約186cmなのに対して体重は約103kgと、このころから肥満体型であった。

しかし、そんな体型に関係なくユーキリスは、当時から非凡なバッティングセンスと選球眼を発揮していた。大学のキャリアではホームラン、四球、長打率、出塁率、打率の打撃主要部門のほぼすべてでシンシナティ大学の記録を塗り替えたのだった。大学のコーチからは「(彼には)何も言わなくてもどこを修正するべきか分かっている賢い選手」と称され、彼の父親には「あなたの息子は野球じゃなくても何かの分野で億万長者になれる」と伝えたという。

2001年レッドソックスの全体234位指名を受けて入団。このドラフトでは、かの有名なオークランド・アスレチックスのGMビリー・ビーンが下位指名でユーキリスを指名できると思い指名せずにいると、レッドソックスに先を越され非常に残念がったという逸話がある。

ドラフトの件が諦めきれないビーンがレッドソックスにユーキリスをトレードで獲得しようとした話はマイケル・ルイスの書いた「マネーボール」の中でも有名な場面の一つだ。なおその時にルイスがユーキリスにつけた”The Greek God of  Walks”(四球のギリシャ神)は、その後彼の代名詞として用いられることとなった。マイナー時代は期待の有望株として名前が上がることは少なかったが、確かな選球眼とパワーを発揮していた。